つい怒ってしまう。
不安なことばかり考えてしまう。
体まで苦しくて悩んでいる。
私も、表には出さなくても怒りや不安を感じ、時には苦しくなることがありました。
しかし、もっと早く知りたかったと思える、感情との付き合い方に出会いました。
それが、ACTという心理療法をもとにした方法です。
数年前に知って以来、現在も続けている習慣であり、個人的に、感情に振り回されにくくなるために役立った方法です。もちろん、人によって合う・合わないはあるため、基本となる考え方を押さえながら、ほかの方法もご紹介します。
感情はどうやって強くなるのか
職場や学校で嫌なことを言われたとします。通りすがりの人から、突然何かを言われることもあるでしょう。メッセージの返信が来ない、失敗を指摘される、相手の態度が冷たく感じられるなど、日常には小さな出来事がたくさんあります。
そして、不安や怒りが湧いてしまい、不安で動悸がしたり、考えが止まらなくなったりする。
こうした出来事が起きたとき、人の中では何が起きているのでしょうか。構造的にみるとヒントが見えてくるかもしれません。
外から刺激が入る
まず、冷静に事実から見てみましょう。最初にあるのは、外で起きた出来事です。
誰かが言葉を発した。
返信が来なかった。
相手がこちらを見なかった。
この時点では、まず一つの出来事が起きています。
しかし、私たちは、このような出来事をそのまま受け取っているわけではありません。
体が反応する
出来事に対して、体が反応することがあります。
- 怒りが湧けば、顔や頭が熱くなる。
- 不安になれば、心拍数が上がったり、胸や胃の周辺が重くなったりする。
- 恐怖を感じれば、呼吸が浅くなり、体がこわばる。
感情は頭の中だけでなく、このような身体反応としても現れます。
脳が意味づけをする
次に脳は、起きた出来事へ意味を付けます。この時点で身体が反応している場合もあり、すでに冷静でない場合もあります。
「バカにされた」
「嫌われた」
「危険かもしれない」
「また失敗する」
「相手は許せない」
意味づけそのものが悪いわけではありません。人が状況を判断し、身を守るために必要な働きでもあります。
しかし、この意味づけがあまりに速いと、事実と解釈の境目が見えにくくなり、「頭に浮かんだ考え」を現実そのものとして受け取ってしまいます。
同じ出来事でも、意味づけは人によって違う(思考傾向)
たとえば、出かける途中で靴ひもがほどけたとします。
「今日はついていない。何か悪いことが起きそう」と考える人もいれば、「転ぶ前に気づいてよかった」と考える人もいます。
起きた出来事は同じです。しかし、その出来事へどのような意味を付けるかは、それまでの経験や思考の癖(思考傾向)によって変わります。
私たちは、自分の頭に浮かんだ解釈を、出来事そのものだと思ってしまうことがあります。しかし、それは数ある見方の一つかもしれません。
感情が強くなる
身体反応と解釈が結びつくことで、不安、怒り、悲しみ、恥、嫉妬などの感情が強くなります。
さらに、
「また同じことが起こる」
「あの人はいつもそうだ」
「自分は絶対に駄目だ」
「もっと言い返せばよかった」
と繰り返し考えると、その思考が感情への燃料になります。
最初は小さな火だったのに、自分の思考で油を注ぎ続けて火を大きくしてしまうのです。
ここまでが、不安や怒りに振り回されるまでの基本的な構造です。ただし、実際には一つずつ順番に自覚できるわけではなく、すべてが一体化して起きているように感じられます。

感情につかまれている状態
感情は一体化した状態で現れる
感情が強くなっているとき、私たちは、ここまでご紹介した、
①出来事 → ②身体反応 → ③意味づけ → ④感情
という流れを冷静に見ているわけではありません。
すべてが一体化して、
「私はいま危険な目に遭っている」
「相手は絶対に悪い」
「これほど不安なのだから、きっと悪いことが起こる」
と感じています。
不安を感じていることや身体反応があるのは事実です。しかし、それは、その人の経験や状況判断を通して生じた反応です。ただし、その不安や恐れが示す予測や解釈が、必ず現実になるとは限りません。
感情は本物でも、そのとき頭に浮かんだ解釈まで事実とは限らないのです。
フュージョン
実物のレモンが目の前になくても、酸っぱいレモンを切り、口へ入れる場面を鮮明に想像すると、唾液が出ることがあります。
同じように、まだ起きていない失敗や拒絶を頭の中で繰り返すと、身体は目の前で危険が起きているかのように反応することがあります。頭に浮かんだ思考を現実そのもののように受け取り、その思考に行動が大きく左右される状態を、次に紹介するACTでは「認知的フュージョン」と呼びます。
小さなスマートフォンの画面で起きていることが現実だとしても、頭の中では巨大な映画館のスクリーンにホラー映画が映し出されているような状態です。これでは怖さにのみ込まれ、目の前の現実へ集中しにくくなります。

これが、思考や感情にのみ込まれ現実を冷静に見られていない状態です。
一方、「ディフュージョン」は、フュージョンによって一体化していた思考と現実を切り分け、頭に浮かんだ考えを事実そのものと捉えず、少し距離を取って見る方法です。
ACTという抜け道(感情と距離を取る方法)
ここでご紹介したいのが、ACTです。ACTは、Acceptance and Commitment Therapyの略で、日本語ではアクセプタンス&コミットメント・セラピーと呼ばれます。
ACTでは、つらい思考や感情を無理に消すのではなく、それらとの関係を変え「心理的柔軟性」を育てます。考えや感情を排除しようとするのではなく、次のような方法を用いるのが特徴です。
- ACTでは、嫌な感情を無理に消さず、今あるものとして受け入れる「アクセプタンス」を重視します。
- その実践法の一つが、身体感覚を観察し、その周りに空間を広げるようにイメージする「エクスパンション」です。
出来事、思考、感情、自分自身をすべて一体化させず、それぞれを区別して捉えられるようにします。
感情へ名前を付ける
不安が湧いたときに、「私は不安だ」と思うと、自分全体が不安になったように感じます。
そこで、「不安が来ている」「不安さんがいらっしゃった」「不安シアターが始まった」と名前を付けます。怒りなら、「怒りが来た」「いま体が、何かを嫌だと知らせている」と見ます。
感情を言葉にすることが、常に同じような効果をもたらすとは限りませんが、感情へ名前を付ける「感情ラベリング」が、感情反応の調整に関係することを示した研究もあります。
大切なのは、自分と感情の間に、わずかでも観察する余地を作ることです。
替え歌や言い換えを使う
「不安だ、不安だ、どうしよう」という言葉を、きらきら星などの明るい曲へ乗せて歌う方法もあります。
最初は、ばかばかしく感じるかもしれません。しかし、語呂を合わせようとしているうちに、「あれ、自分は何をやっているのだろう」と、思考の内容から少し離れられることがあります。
これは、不安を否定しているわけではありません。
「恐ろしい現実」だと捉えていたものを、「いま頭の中を流れている言葉」として受け取り直しているのです。
逸らすのではなく、距離を取る
ディフュージョンは、単に気を逸らすこととは少し違います。
気を逸らす方法では、感情を見ないようにしたり、別のことで忘れようとしたりします。それが役立つ場面もあります。しかし、嫌な感情が起きるたびに逃げ続ければ、できることが少しずつ減ってしまう可能性もあります。
ACTでは、
「不安はある」
「怒りもある」
と認めます。
理想を言えば、「教えてくれてありがとう。でも、ここからどうするかは私が決める」と言える関係を作れるとよいのでしょう。
感情は、自分の体や心から届いた一つのサインです。
気づき、名前を付け、体のどこにあるのかを感じ、そのまま置いておく。
必ずすぐに消えるわけではありません。しかし、感情につかまれていた心が少し解放され、体の緊張も緩めば、その後の行動を自分で選びやすくなります。

反応と行動の間に余白を作る
私は、嫌な感情へ意識的に名前を付けたり、感情の形や位置を観察したりすることを繰り返すうちに、嫌なことが起きても、以前ほどすぐにはのみ込まれにくくなりました。
感情が湧かなくなったわけではありません。神経がまったく反応しなくなったわけでもありません。
ただ、
①感情が湧く → ②その感情に気づく → ③少し距離を取る → ④自分の行動を選ぶ(感情との距離を保ったまま)
という余白ができたのだと思います。
感情につかまれ、そのまま引きずられそうになっても、「これは、私の体と脳の中で起きている反応だ」と気づけるようになります。
心も筋肉と同じように、一度の練習で急に変わるものではなく、繰り返すことで少しずつ鍛えられていくのだと実感しました。
最初は一つずつ意識していたことが、繰り返すうちに少しずつ自然になる。やがて、呼吸をするように、自分の思考や感情から距離を取れる瞬間が増えていきます。
感情を消すことが目的ではありません。感情があっても、それを現実そのものと決めつけず、自分の行動を選べるようになること。
感情はサインであって、そこに呑まれる必要はない。
そのことを理解するだけでなく、体感できるようになると、感情に支配される時間を少しずつ減らしていけるのだと思います。

